2007.03.29 Thursday
初恋
初恋(石川啄木作詞・越谷達之助作曲)
砂山の砂に
砂に腹這い
初恋のいたみを
遠くおもい出ずる日
有名なこの歌曲(私が中学生の頃には音楽の教科書にも載っていた),長きに渡り多くの人に愛唱されているのだが,私はこの曲の持つフレーズが奇妙に感じられてならない。
私はこれまで,その奇妙さについて何人かの友人に話したことがあるのだが,理解が得られず「え?何で?全然不自然には感じないよ。良い曲じゃん」などと言われることもある。だが,これは好みの違いではなく,フレーズの捉え方の違いではないだろうか。今回はそれについて詳しく述べてみたい。
砂山の砂に
(普通のフレーズ。可もなく不可もなく)
砂に腹這い
(前のフレーズを受けている。前のフレーズにくらべ,跳躍も控えめで少し落ち着いた雰囲気)
初恋のいたみを
(ここで一気に盛り上がる。ここまでに関しては,よくある展開)
遠くおもい
(「初恋のいたみを」で盛り上がった後,「遠く」で落ち着くが,その後の「おもい」で思わせぶりに続く感じを醸し出す。この後音楽がどうなるのか,期待が高まる)
出ずる日
(え?それで終わり?「おもい」の箇所の思わせぶりなフレーズは何だったの?)
つまり,「遠くおもい」の箇所のフレーズが持つエネルギーが,行き先がないまま,あまりにもあっさり終わってしまうのである。特に「遠く」に比べてその直後の「おもい」の方がフレーズの持つエネルギーが高い(音高も少し上である)ため,自然と「フレーズのエネルギーの方向」を作り出しているのが問題なのだろう。それは聴き手に期待感を促し,「出ずる日」でストーンと足下をすくわれた感じになる(不自然に無理矢理終わらせた感じがする)。
それはまるで,有名な替え歌「赤い靴,履いてたら,脱げた」(画像)と似た脱力感に近い。だが,「赤い靴」の替え歌は,そういった意外性を意図しているのが明らかなのだが,「初恋」の場合は,おそらく意図されていない。仮にそれが意図されたものだとしても,「遠くおもい出ずる日」の箇所でそのような意外性を意図する必然性は全く感じられない。
私は,この曲を初めて聴いた時から現在にいたるまで,フレーズの構築に違和感を抱いてきた。やや乱暴な言葉になってしまうが,何度聴いても,どんな素晴らしい声楽家が歌うのを聴いても「フレーズの組み立てに失敗した,下手な作曲」に聴こえてしまうのである。
ご意見のある方は,ぜひお聞かせください。
追記:
ちなみに,石川啄木によるオリジナルの詩は
砂山の
砂に腹這い
初恋の
痛みをとおく
おもひいずる日
という,(5,7,5,7,7)の短歌の形式で書かれている。
歌曲において,「砂に」という言葉が2度繰り返されているのは,作曲家の越谷達之助によるものであろう。

砂山の砂に
砂に腹這い
初恋のいたみを
遠くおもい出ずる日
有名なこの歌曲(私が中学生の頃には音楽の教科書にも載っていた),長きに渡り多くの人に愛唱されているのだが,私はこの曲の持つフレーズが奇妙に感じられてならない。
私はこれまで,その奇妙さについて何人かの友人に話したことがあるのだが,理解が得られず「え?何で?全然不自然には感じないよ。良い曲じゃん」などと言われることもある。だが,これは好みの違いではなく,フレーズの捉え方の違いではないだろうか。今回はそれについて詳しく述べてみたい。
砂山の砂に
(普通のフレーズ。可もなく不可もなく)
砂に腹這い
(前のフレーズを受けている。前のフレーズにくらべ,跳躍も控えめで少し落ち着いた雰囲気)
初恋のいたみを
(ここで一気に盛り上がる。ここまでに関しては,よくある展開)
遠くおもい
(「初恋のいたみを」で盛り上がった後,「遠く」で落ち着くが,その後の「おもい」で思わせぶりに続く感じを醸し出す。この後音楽がどうなるのか,期待が高まる)
出ずる日
(え?それで終わり?「おもい」の箇所の思わせぶりなフレーズは何だったの?)
つまり,「遠くおもい」の箇所のフレーズが持つエネルギーが,行き先がないまま,あまりにもあっさり終わってしまうのである。特に「遠く」に比べてその直後の「おもい」の方がフレーズの持つエネルギーが高い(音高も少し上である)ため,自然と「フレーズのエネルギーの方向」を作り出しているのが問題なのだろう。それは聴き手に期待感を促し,「出ずる日」でストーンと足下をすくわれた感じになる(不自然に無理矢理終わらせた感じがする)。
それはまるで,有名な替え歌「赤い靴,履いてたら,脱げた」(画像)と似た脱力感に近い。だが,「赤い靴」の替え歌は,そういった意外性を意図しているのが明らかなのだが,「初恋」の場合は,おそらく意図されていない。仮にそれが意図されたものだとしても,「遠くおもい出ずる日」の箇所でそのような意外性を意図する必然性は全く感じられない。
私は,この曲を初めて聴いた時から現在にいたるまで,フレーズの構築に違和感を抱いてきた。やや乱暴な言葉になってしまうが,何度聴いても,どんな素晴らしい声楽家が歌うのを聴いても「フレーズの組み立てに失敗した,下手な作曲」に聴こえてしまうのである。
ご意見のある方は,ぜひお聞かせください。
追記:
ちなみに,石川啄木によるオリジナルの詩は
砂山の
砂に腹這い
初恋の
痛みをとおく
おもひいずる日
という,(5,7,5,7,7)の短歌の形式で書かれている。
歌曲において,「砂に」という言葉が2度繰り返されているのは,作曲家の越谷達之助によるものであろう。
