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寺内大輔の日記

寺内大輔のサイトに戻るには、画面左の、「寺内大輔のページに戻る」をクリックしてください。
CMFの講師一覧を作成して
先日、CMFのウェブサイトのために、これまでの講師の一覧を作成しました。

ここです↓
http://cmflog.blog134.fc2.com/blog-category-18.html

振り返ってみると、とても懐かしい気持ちに浸ってしまいました。
そして、この一覧を見ると、実に様々なジャンルから、興味深い仕事をされている方々が来てくださったのだなぁと思います。

個人的なことで恐縮ですが、CMFは私にとって、第二の母校とも言える存在で、現在の私の仕事は、CMFに育くまれたと言っても過言ではありません。
2008年からオーガナイザーになりましたが、これからも素晴らしい伝統を受け継いで続けていきたいと、意欲を新たにした次第です。



さて、ここで宣伝
CMF2011、参加申し込み受付中!!
今年のテーマは「映像・演劇・音楽」
http://dterauchi.com/infomation2.htm


| 雑感 | 21:58 | - | - |
アツカマシイ募集ではないか?
現在、広島市文化財団事業課が、市民サロンコンサートの出演者を募集している。

http://www.cf.city.hiroshima.jp/bunka/jigyou/jigyou_event.html


誰でも応募できるわけではなく、「大学等で音楽を専攻するか、又は同等程度の能力を有し」とか「演奏実績があること」といったなかなか厳しい基準も書かれている。要は「シロウトお断り」ということなのだろう。

それなのに、要項をよく読んでみると「出演料、交通費などの支給はありません。」という条件も書かれている。

うーん、、、これはちょっとアツカマシイんではないのか??
もちろん、「そういう条件を承知で出演したい」という「音楽家」がいるのは確かだし、それで成り立っている企画だというのも理解できるのだけど、、、。


私は、単純に「音楽家にカネを払え」「予算ぐらい確保しろ」と言いたいわけではない。もちろん十分な予算が確保できるに越したことはないが、「企画はやりたいが予算はない」という残念な場合も多々あろう。私自身もコンサートや音楽祭の企画に携わっている者として、そういう苦しい状況は理解できるし、そういう状況の中、アツカマシイ出演依頼をしなければならなかった経験も少なくない。

しかし、予算がなくて出演料が払えないなら、そのことに対する申し訳なさと、それ相応の誠意が必要ではないか?広島市文化財団ともあろう団体の募集なら、なおさらである。しかし、この募集要項からは、そういった申し訳なさや誠意といったものが、あまり感じられない。企画目的として書かれている「市民の皆さまに、気軽に音楽に触れ、楽しむ機会を提供するとともに、主に市内で活動している音楽家を育成する」という文章が、何か私をイラッとさせる。こういう企画が当然のことのようにまかり通るようになれば、広島の音楽シーンがかえって不健全になっていくとさえ感じてしまうのだ。


| 雑感 | 13:32 | - | - |
Midi鍵盤ハーモニカの呼び方
先日の映像文化ライブラリーのイベントでは、Midi鍵盤ハーモニカを用い
た。豊かな表情を持ち、電子ピアノとの相性も良い。

Midi鍵盤ハーモニカは、そのままでは音は出せない楽器である。音源モジュールに接続して音を出す。私は、この楽器を数年前から所有しているが、実際に公的な場で使用したのは初めてである。


上映前、お客さんに使用楽器を紹介する際には、「電気鍵盤ハーモニカ」と呼んだ。「Midi鍵盤ハーモニカ」いう呼び方は、多くの方々にとって馴染みがないと思ったからである。

しかし、「電気鍵盤ハーモニカ」という呼び方は、別の誤解を招いてしまった可能性もある。なぜなら、この名前からは、鍵盤ハーモニカの音色が出てくるような印象を与えがちだからだ。しかし実際には、その音色は、鍵盤ハーモニカのそれだけではなく、音源モジュールの設定によって、ヴァーチャルなファゴットにもなれば、ヴァーチャルなヴァイオリンにもなる。

なかなか適切な紹介の仕方が思い付かない。
ピアノ以外の様々な音色を搭載したピアノを「電子ピアノ」と呼ぶことに倣うならば、「電子鍵盤ハーモニカ」と呼ぶのがふさわしいだろうか。

| 雑感 | 09:38 | - | - |
密かな50音の愉しみ
 先日、次のようなことを考えていた。
 50音表を思い浮かべる。縦に読むと「あいうえお」、横に読むと「あかさたな、はまやらわ」。
 
 あまり馴染みのない読み方に挑戦してみた。まず斜め「あ、、き、、す、、、て、、、、の、、、、、は、、、み、、、ゆ、、、、、れ、、、、を」、意外と時間がかかってしまい、パッと繋がらない。「あきすての、はみゆれを」と、何度か心の中で唱えてみる。

 次、それをひとつ下にずらす。
「い、、、く、、、、せ、、、、と、、、、な、、、、、、ひ、、、、む、、、、いぇ、、、、、ろ、、、、わ」
「いくせとな、ひむいぇろわ」

 速く唱えようとすると、なかなかうまくいかない。それが面白い。

 さらに一つ下に。
「う、、、け、、、、そ、、、、、た、、、、に、、、、ふ、、、、め、、、、よ、、、、、ら、、、、い」
「うけそたに、ふめよらい」

 もしかしたら、頭の体操に良いかもしれない。逆さに読む「わらやまは、なたさかあ」とか、逆斜め「わりゆめほ、なちすけお」とか、さらに上下も逆「をれゆみは、のてすきあ」とか、どんどん高度にすることもできるが、こういうことまで考えていると、頭が疲れてしまった。


宣伝:
「密かな音楽の愉しみ」、地味に続いています。
投稿も増えていますので、皆様ぜひご覧ください。
http://dterauchi.com/hisokatop.html
| 雑感 | 12:44 | - | - |
楽しさの温度
 前回の日記で「音と言葉のゲーム」を提案した。だが、このゲームは、あまり「イェーイ!楽しいぜー!」という雰囲気にはならないであろう。このゲームの楽しさは、その場の「楽しい雰囲気」にあるのではなく、一人一人の心の中で地味に存在するものである。ある意味「暗い遊び」とも言える。実は、私が立案するゲームは、こういうものが多く、「いかにも楽しそう」なものは、あまりない。

 この種の地味なゲームは少なくない。自由即興演奏のワークショップなどでよく行われる「皆で輪になって座り、順番に一音ずつ出す」といったゲームも、無言で、あまり盛り上がる空気もなく、地味に行われるが、集中して行っているとじわじわと楽しくなってくる。
 

 さて、こんなことを考えていると、私が以前勤めていた小学校のことを思い出した。学校現場では、特に音楽の授業では、「楽しそうな雰囲気作り」が重要視されているように見えたからだ。もちろん、雰囲気が大切なのは言うまでもない。多くの人にとって、「楽しそうに盛り上がっている音楽活動」と「あまり盛り上がっていない音楽活動」なら、前者の方が親しみやすいだろうから。

 教師の中には、こうした「雰囲気作り」が凄く上手な人がいる。うまく子ども達の気分を導いて、「楽しい雰囲気」を作る。そういう先生の手にかかると、場は楽しいムードで盛り上がり、子ども達もとても楽しそうである。私は、こうした「雰囲気作り」があまり得意ではないので、それが上手な先生に接すると心から感心したものである。

 しかしながら、楽しさには様々な温度がある。表面的には楽しそうに見えないゲームが意外と本人達にとっては楽しかったりすることもある。雰囲気だけに囚われないようにしたい。
| 雑感 | 22:48 | - | - |
言葉で音を伝えること
 私が作曲家として仕事をする時には、演奏家に対し、様々なニュアンスを言葉で伝えなければならないことが多い。

「そこのスタッカートはもう少し鋭くしてください」「グリッサンドは均一にお願いします」など、音楽の専門用語を使うことも多い。専門用語は、音楽に馴染みのない人に何かを伝えるには不向きだが、音楽家同士ならば大変便利である。また、たいていどこの国の人であれ通じるので、外国語が苦手な私にはありがたい。

 逆に、「〜な感じ」という言葉は、あまり使わないよう心がけている。例えば「ここでは、悲痛な感じを出してください」などといった指示は、たいていうまく伝わらない。「悲痛」と言っても,人それぞれ違った感性でその言葉を理解するからだ。

 以前,ある作曲家が自作のリハーサル中,演奏家に「いそぎんちゃくの触手みたいな感じで弾いてください」と言っていたのを聞いたことがある。これでは、演奏家はどのように演奏して良いのかが、かえってわからなくなる。私は、同じ現場でその指示を聞きながら、「それじゃあわかんないよ」と心の中で思った。しかし、そういう私も、時々うっかりしてこのような言い方をしてしまうことがあるので気をつけなければならない。

 ただ、一概にそういう説明が悪いとも言えない。相手や曲によっては、音楽用語でニュアンスを説明するよりも、「悲痛な感じで」と指示する方が、よほど音楽的な表現をしてくれる場合も、たまにはあるのだ。

 以前、映像作家と一緒に仕事をした時のことである。私は彼の作品に音をつけることになった。この場合は、私が説明される側なのだが、彼の持つニュアンスを汲み取るのに大変苦労した。彼の説明は、どれも私にはわかりにくかった。「ここではね、生物のような音、湿った感じで、、、でも人間っぽくはしないで、、、」という具合、「〜みたいな感じ」という説明のオンパレードである。私は自分なりにそのイメージに合う音を探すのだが、ようやく見つけた音を聴かせると「そういう音じゃなくてさ、、、うーん、、もっとこう、、、硬質な生物のような感じで、、、」などと言われ、なかなか彼のイメージに近づかない。なかなか彼の理想の音を提示できず、ことごとく没にされた。

 音を言葉で伝えるのは本当に難しいものだと実感した。



追記:
 先日,ビートルズの名プロデューサーとして知られるジョージ・マーティンについて書かれたサイトを読んでいた時,「ポールは音楽的要求をはっきり教えてくれたが,ジョンはいつも抽象的で直感的な言葉を使っていたので苦労した」という回想を見つけた。
| 雑感 | 18:35 | - | - |
合奏のうまさ
 今回は合奏について書きたいと思う。

 私がエリザベト音楽大学の学生だった頃、クラリネットの教授に武田忠善先生がいた。武田先生は、非常に優れた演奏家として知られており、広島で行われたリサイタルを聴いた時も深く感激したのを覚えている。
 
 私は、大学院時代、「ソニックラボラトリー」という授業を受けていた。これは、実験的現代作品のアンサンブルを実際に経験してみることを目的とした授業(担当:近藤譲先生)で、そこでは演奏を専門としていない学生も演奏に参加しなければならなかった。作曲を専門とし、あまり合奏の経験のなかった私は(当時の私は、即興演奏の合奏経験さえ乏しかった)、合奏に参加することにある種の恐れをなしていた。初めて参加した曲は、J. ケージの初期作品で、とても長い題名を持つ楽器指定のない3重奏作品であった。私は鍵盤ハーモニカを担当し、残り二人はシンセサイザーとヴァイオリンであった。三人のうち、演奏系の学生はひとりだけだった。私が一番下手で、あとの二人に迷惑をかけないよう、間違えずに弾くのが精一杯だった。

 そんなある日、武田忠善先生がレッスンに来られ、いろいろと指導をしてくださった。その時、先生は「ちょっと俺にやらせてみろよ」と、初見でクラリネットを吹き始めた。私は、武田先生と一緒に演奏しながら、感動した。武田先生の演奏に感動したというよりも、武田先生と一緒に演奏することがこれほど楽でやりやすいのかということに感動した。普段一緒に演奏している同級生とは大違いだった(同級生、ごめん)。一見無機的に見える旋律が、途端に生き生きと変わり、アンサンブル全体がぐんと魅力的になり、自分自身もうまくなったような気がした。いや、「気がした」のではなく、あの時の自分は本当にうまかったと思う。それは、武田先生が引き出してくれたものだった。一緒に演奏するだけで共演者の能力を引き出せるというのは、本当にすごいことだと思う。
 武田先生と一緒に演奏したのは、後にも先にも、この一回きりである。武田先生はあの時のことをもう覚えてはおられないだろうが、私にとっては、大変有意義な時間だった。




武田忠善先生のCD
| 雑感 | 17:34 | - | - |
To You「私のも載せて!」
 広島には、「To You」という文化情報マガジンがある。

 広島市文化財団が月に一度発行しているフリーペーパーで、区民文化センターや楽器店などのチラシ置き場などで手に入る。
 これを読めば、その月に催されるコンサートや演劇、映画、美術展などのイベントを知ることができ、大変便利である。イベントカレンダーページには、多くのイベントの公演名、時間、場所、料金、連絡先が載っている。いくつかのイベントについては「今月のおすすめイベント monthly pick up」というページで紹介されており、そこでは公演名などの情報だけでなく、より詳しい紹介が載せられる。私が昔、初めてのパフォーマンス公演をした時、そこのページで公演の紹介をして頂いた思い出もある。

 さて、私は、このフリーペーパーを有効に利用させて頂いている読者のひとりだが、ひとつだけ気に入らないことがある。その「今月のおすすめイベント monthly pick up」というページとは別にある「私のも載せて!」というイベント紹介ページである。ここはその名の通り、読者による投稿が載るページなのだが、ここの内容は多種多様で、どういった基準で載せるイベントを選んでいるのかが全くわからない。アマチュアの合唱サークルの発表会のようなイベントがあるかと思えば、キャリアのあるプロ音楽家による演奏会も載っている。実力もキャリアも知名度も十分なピアニストのリサイタルが、「私のも載せて!」欄で、サークルの発表会と並んで紹介されていたりするのを見ると、なんだか悲しくなってくる。

 おそらくは紙面の都合なのだろう。「今月のおすすめイベント monthly pick up」に入りきらないものを「じゃあ、こっちで」ということで「私のも載せて!」欄にまわす。しかし、紙面の構成と「私のも載せて!」というタイトルからは、巻頭の「今月のおすすめイベント monthly pick up」ページにあるイベントに比べ、「低いものである」という印象を与える。イベント主催者からすれば、少しでも宣伝したいから、プライドを捨ててでも、載せてもらう方がありがたいだろうが、わざわざプロのアーティスト達のプライドに引っかかるような紙面構成にしていることに、私は賛成できないのである。
 
 To You関係者の方、もしここをお読みでしたら、このことについて検討してみてはいかがでしょうか。
| 雑感 | 19:05 | - | - |
体を左右に揺らす
 年始に観た、あるテレビコマーシャル。
 何のコマーシャルだったのか、印象にない。
 そのコマーシャルでは、20人くらいの整列した小学生たちが、屋外で合唱をしており、さわやかな歌を歌いながら笑顔で上半身を左右に揺らしている。全員、曲の拍子に合わせ、左右がきちんと合っている。

 このような、「上半身を左右に揺らしながら合唱する」というのは、特に6拍子の曲に多くみられ、ある意味では小学校の合唱の「伝統」のひとつとして受け継がれているようだ。少なくとも私が小学生時代からそのような歌い方はあった。学芸会の合唱などで、先生からそのように体を揺らすよう指導された経験のある人も少なくないだろう。

 これは一体何だろうか??と思う。

 2つの可能性を考えてみた。

1.拍子感を育むという目的
 なるほど、6拍子系の曲に合わせて、3拍ずつ体を揺らすことによって、児童の拍子感が育まれるのかもしれない。
 しかし、実際にやってみるとわかるが、この「体を左右に揺らしながら歌う」というのはなかなかハードな行為で、動きや息、歌声などが乱れる。そのような状況では、当然、真に拍子感のある動きをする児童はまれで、ほとんどの児童の動きは何となく不自然に感じられる。

2.歌う喜びを表わす「振り付け」
「歌っているのが楽しくて、つい体が拍子にあわせて動いてしまった」ということがある。しかし、それはあくまでも個人的なことである。先生の指導のもと、全員が同じように体を動かすことは「自然に体が動く」というよりは、「振り付け」としての性格を持つ。それは、「拍子に乗って、楽しく歌っているような雰囲気」を醸し出そうとしているのかもしれないが、全員一斉に同じ動きをする様子は、「無理して楽しそうにしている」ようにしか見えない。さわやかな笑顔と、さわやかな歌が、余計に「無理している感」を増しているように感じられる。
 
 以上のような理由によって、私はあまり好きではない。


| 雑感 | 21:34 | - | - |
CD棚の整理法
 CD棚の整理には様々な整理法があるが、そのほとんどは、ジャンル別、楽器や編成別、時代別、並べ方としてはアイウエオ順やABC順など、客観的な分類であることが多い。私も、多かれ少なかれそのような分類で整理している。

 さて、先日訪れた知人のCD棚の整理法には驚いた。「買った順」に並んでいるというのである。良く見れば、確かに同じ頃に発売されたCD同士が近くに並んでいるようだ。

この並べ方は、客観性はないものの、どのような音楽を聴きながら生きてきたかという自分自身の歴史を噛み締めるには素晴らしいと思った。
| 雑感 | 17:37 | - | - |