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寺内大輔の日記

寺内大輔のサイトに戻るには、画面左の、「寺内大輔のページに戻る」をクリックしてください。
回想:2001年尿管結石
 あの時も本番前だった。

 当時、呉市立白岳小学校に勤務していた私は、年に一度の学習発表会「なかよし発表会」の前日に腹痛に襲われた。「なかよし発表会」では、第6学年106名全員で演奏する器楽合奏、ラベルの「ボレロ」と、合唱「いつも何度でも」の指揮をする予定だった。

 痛みは午前最後の授業、4時限目にピークに達した。その時間は、「いつも何度でも」の指導をしていたのだが、立っているのもやっとの状態だった。

 何とか4時限目を終え、早退を決意。しかし、そんな時に限って、校長先生も教頭先生も席を外していた。しかし、どうにも苦しみが止まらなかった私は、早退する旨を書いた伝言を教頭先生の机に残し、勝手に帰った。

 しかし、家に辿り着くことができなかった。途中で運転ができなくなり、国道の路肩に止めて、痛みに呻いていた。経験したことのない痛みに、私は「これが盲腸というものかもしれぬ」と、勝手な想像をした。痛みには波があるようで、少し痛みが鎮まった時を見計らい、運転を再開、病院に行った。

 病院では、痛みのあまり過呼吸になり、手足が痺れた。看護婦さんに痛み止めの座薬を入れててもらい、楽になった(自分で座薬を入れることすらできなかった)。レントゲンを取り、「尿管結石」であると告げられた。「盲腸」ではなかったのね。その後、小学校に電話し、教頭先生に事情を話した。その後、大きい病院に行き、超音波で破壊する日程を決めたが、その時は特に何も治療してもらえなかった。超音波で破壊する日が来るまで、薬で我慢しなければならなかった。

 夕方家に着いた。6年1組の担任の藤脇先生が、自宅に来た。
 万一、翌日の指揮ができない場合を考え、藤脇先生にボレロの指揮法について指導した。

 当日、本番前に、痛み止めの座薬を入れて、ステージに立つことができた。演奏は無事に終わった。



 今回の尿管結石では、2001年の経験があったので、気分的には楽だった。
 しかし、なんで2度ともよりによって本番前なのか。


尿管結石って、何?という方はこちらに資料があります。
医療法人つくばセントラル病院のウェブサイト
http://www.central.or.jp/central/kesseki.htm
| 回想 | 03:28 | - | - |
昔の女装
前回の日記「女装して本番」への反響が大きいので、昔の女装写真もここに載せておきます。

この写真は、1995年、私がまだ20歳の頃、サリーで女装をした時のものです。




| 回想 | 03:50 | - | - |
回想:テレビ出演まで3日、テルミン猛勉強
 数年前のある日、当時勤務していたエリザベト音楽大学から電話があった。
「寺内先生、テルミンのことについて話せます?」

 話を聞いてみると、映画「テルミン」の広島公開に先立ち、ある広島のテレビ局がテルミン特集をするので、それに出演してテルミンのことについて語って欲しい、とのこと。エリザベト音楽大学にはテルミンの専門家がいないので、テレビ局に対し「うちの大学にはそういう専門の先生はいません」と一度は断ったらしいのだが、大学の担当者が「いや、待てよ、寺内ならいけるかも」ということで私に声がかかったのである。

 今でこそ、私は自分のテルミンを所有し、少々嗜んではいるが、当時の私は、テルミンについては全くの不勉強だった。テレビ局の方と直接話してみると、「専門的なことでなくても、基本的なことだけ説明してくれれば良い」「出演時間はほんの少し」ということで、それならできるかも、と思い、承諾した。

 撮影日は3日後、私はすぐに本屋さんで「テルミン―エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男 」(竹内正実著)を購入し、インターネットでテルミンのことを調べ、猛勉強をしてレジュメを作った。



 番組の構成は次のような形であった。

 レポーター「今度、テルミンという楽器について取り上げた映画が上映されるとのことで、我々は『触らずに音を出す』という幻の楽器!テルミンについて調べてみました。」

 広島の商店街が映る。レポーターが歩行者にマイクを向け、「すみませーん、テルミンって知っています?」とインタビューする。道行く人々は、皆「いやあ、知りませんねえ」とか「聞いたことないです。」などと言う。

 次は楽器店が映る。楽器店のスタッフに、「すみませーん、こちらではテルミンは扱っていますか?」と訊ねる。楽器店スタッフは「いやあ、うちではテルミンは置いていないんですよー。」と言う。「○○楽器店さんにも置いていないなんて!!ますます謎が深まりますねえ」などと言って場面は変わる。

「ここならきっとテルミンを知っている人がいるでしょう」と言って、エリザベト音楽大学が映る。私が登場し(「エリザベト音楽大学講師、寺内大輔先生」という字幕が出る)、テルミンのことを1分くらい話す(すごく短かいので、何も3日間かけて勉強するほどのことではなかった)。

「寺内先生は、テルミンをお持ちではないんですか?」
「いえ、私は持っていないんですよ。でも、持っている人を知っています。紹介しましょうか?」
「ええ?そうなんですか?それはすごい。とうとう実物にお目にかかれますね。」
 そして一行は、寺内の知人宅に行く。テルミン実物とその演奏風景が画面に映る。


 という構成であった。




 出演ギャラはなく、テレビ局の名前入りタオルをもらった。
 

私が短期間で何度も読み返した本はこれ

 

補足説明:
 最後に登場する「寺内先生の知人」というのは、美術家の船田奇岑さんであった。彼はテルミンの「自作キット」から組み立てており、本体にはまるで耳なし芳一のように漢字がびっしり書かれていた。「般若心経」が書かれているのだと言う。テレビ視聴者にはとても大きなインパクトを与えたに違いない。

| 回想 | 20:08 | - | - |
回想:「礼儀正しさ」の温度
 まだ大学生の頃、とある中学校吹奏楽部のために編曲をしたことがあった。その中学校の吹奏楽部は、活動が盛んで、部員も多く、全国大会の常連でもあった。

 ある日、リハーサルに立ち会うため、その学校を訪れた。校門から校舎に向けて歩く途中、個人練習の音があちこちから聴こえた。途中、練習中の生徒達は元気な声で挨拶してくれた。

 全体練習が始まる前、顧問の先生が、部員達に私を紹介した。
「えー、今日は、編曲をしてくださった寺内大輔先生がお見えです。」
 私は、当時「先生」などと呼ばれたこともなく、そういう紹介のされ方にも驚いたものだが、そのすぐ後、もっと驚くようなことが起きた。大勢の部員が一斉に起立し、大きな声で「ありがとうございましたー!」と言ったのである(言った、というよりも、叫んだ、に近い)。
 その日、私は、全体練習に立会い、個人練習の時も何人かの生徒と話した。部員達は、終始礼儀正しかったが、生徒達の統率のとれた礼儀正しさには違和感を抱き、正直なところ、あまり居心地は良くなかった。

 ここの吹奏楽部で感じた温度は、私自身が幼い頃所属していた少年野球チームや、中学時代のクラブ活動で先輩から教え込まれた「挨拶」や「礼儀」に似ている。いわゆる「体育会系」である。彼らにとっては、これらは特別なことではないのだろう。大きな声での挨拶や、統率の取れた行動は、普段から自然と身についているものだ。だが、そこにはある種の閉ざされた雰囲気があった。
 
 この一件は、私に、人と人とのコミュニケーションについて考える材料をくれた。小中学生が、クラブ活動の中で礼儀を教わるのも学校教育の一環なのかもしれないが、こうしたガチガチの礼儀正しさだけでは、年齢、国籍、仕事の分野、趣味、宗教などが異なる相手とのコミュニケーションがうまくいくとは思えない。これからの世の中に必要なコミュニケーション力は、より柔軟なものでなければなるまい。それは、クラブ活動などの教育分野にも反映されてしかるべきだと思う次第である。





ご報告:

昨年末の火傷ですが、昨日、通院が終わりました。
完治にはもう少し時間がかかるようですが、もう薬もつけなくて良いし、病院にも行かなくて良いそうです。跡も日に日にきれいになっています。
ご心配してくださった皆様、ありがとうございました。
皆様も事故や怪我には十分気をつけてください。
| 回想 | 13:49 | - | - |
歌のうまさ
 約10年前に亡くなった私の祖父は,歌が上手かった。
 だが,彼は歌手ではない。ごく普通のしろうとであった。

 私がまだ幼い頃のある日,姉が教えてくれた。
「おじいちゃんが歌がうまいのは,ひとりで歌っている時だけよ」

 姉によると,祖父は,ピアノやカラオケなどの伴奏と一緒に歌うという状況になると,いきなり下手な人になると言うのだ。私は,このような状況下での彼の歌を聴いたことがなかったのだが,つまりは他のパートに自分の声のピッチを合わせられないということなのだろう。

 祖父が歌を歌うとき,たいてい伴奏など無かった。あったのはせいぜい周囲の人の手拍子くらいのものだ。祖父の歌は,幼い私に「うまいなあ」と感心され,周囲からも賞賛されていた。だが,カラオケが普及した現代においては,こういう人はむしろ「歌が下手だ」と看做されるのだろう。「歌がうまい」という評価基準の違いが面白い。


追記:
 祖父の場合は音楽家ではなかったが、この話は非音楽家に限ったことではない。プロの声楽家でさえ、そういう傾向が見られる人はいるようだし、声楽家に限らず、楽器奏者の中にも「独奏なら上手いけど,合奏になるとイマイチ」という人がいる。
| 回想 | 06:04 | - | - |
回想:オーケストラを「極端に」意識したピアノ演奏
 数年前に訪れたコンサート。ヨーロッパから帰国したばかりの若手ピアニストによるリサイタルだった。プログラムには、ベートーヴェンのピアノソナタが含まれていたのだが、その演奏を一聴した瞬間、大きな違和感をおぼえた。声部同士のバランスが奇妙なのだ。
 
 私はすぐに「これはオーケストラを意識した演奏だ」と思った。各声部の音色が極めて特徴的で、聴きながら「あ、これはホルンかな」とか「ここはファゴットを表わしているのかな」とか感じるのは、なかなか興味深い体験だった。

 ピアノは、弾き方によって様々な音色やニュアンスが表現できる。だから、そういう弾き分けができるピアニストならば、オーケストラを感じさせるような演奏も可能だろう。だが、その日の演奏は、あまりにもそれが極端で、全体的に音色が溶け合っていないと感じられた。「ピアノ曲」として聴くには、あまりにも奇妙だったのだ。私はその奇妙さを楽しんでいたが、他の聴衆の中には、「なんだ?この変な演奏は」と否定的に感じた人もいたかもしれないし、もっと言えば「この人ヘタじゃん」と思った人もいたかもしれない。

 あのような演奏に出会えることはあまりない。その演奏会を聴いたことは大変面白い体験だったし、いささか極端な試みをあえて挑戦したピアニストには心から拍手を送った。
| 回想 | 18:20 | - | - |
回想:音楽の成績
 高校時代の思い出。
 音楽の成績,10段階評価で,私はだいたい7ぐらいであった。

 高校2年生の時,音楽大学への進学を決意し,音楽の先生に「音大に行こうと思うんですけど,,,」と話した。
 
 すると,次の成績表では,音楽が10になっていた。私自身には特に変化はなかったのだが,,,。
| 回想 | 09:27 | - | - |
回想:音楽作品推薦文の宿題
 数年前,小学校講師をしていた頃のことである。

 6年生の児童に冬休みの宿題を出した。
「どんな曲でも良いので,一曲,自分の好きな曲を選んでください。その曲の推薦の文章を書いてきてください。推薦の文章,というのは『その曲の宣伝』と思ってもらえばいいです。感想文ではないので注意してください。もちろん感想を交えても良いのですが,推薦が重要ですから,その文章を読んだ友達が『この曲を聴いてみたいなあ』と思うような文章を心がけてくださいね。」

 6年生と言えば11歳から12歳,自分の好きな曲を「友達にも薦めたい」という気持ちがふくらむ年頃なのではないかと考えた(私自身も,好きな曲をテープに録って友達に聴かせたりしていたものだ)。冬休み明け,私は児童の書いた文章を楽しみにしていた。子ども達はどんな曲を取り上げ,どのような文章を書いて来るのだろう,と。

 提出された文章ひとつひとつを興味深く読んだ。クラスに2,3人,感心するほど上手な文章を書いている児童もいた。だが,すべての文章に目を通した後,気になったことがひとつあった。選曲についてである。

 私は「どんな曲でも良いので,自分の好きな曲を選んでください」と言ったはずである。ほとんどの児童が,馴染み深いポップソング,アニメの歌,テレビゲームの曲などを選ぶだろうと予想していた。実際,そういう曲を選んだ児童は多かったが,教科書に載っている曲やクラシックの作品を選んでいる児童も予想以上に多く,そういう曲を選んでいる児童の中には「本当にこの子は,この曲が好きなのだろうか」と疑ってしまう場合も少なくなかった。教科書に載っている曲やクラシックの作品を選んでいる児童の文章からは,ポップスやアニメの歌を選んでいる児童に較べ,推薦の熱意があまり感じられないことが多かったからである。

 これは私の推測だが,彼らは「学校の授業なのだから,『好きな曲』と言ってもポップソングなどを選んではいけない」と思ったのかもしれない。あるいはもしかしたら,自宅でこの宿題をやっている時,保護者から「学校の宿題でしょ?モーニング娘の曲のことなんて書いてはダメよ」などというアドバイスを受けたのかもしれない。その考えは「生活の中の音楽」と「授業の音楽」とを別のものとして捉えているということを意味している。

 だが,普段の授業でクラシック音楽や教科書に載っている音楽しか取り上げないような偏った教師ならいざ知らず,私は常日頃から様々な音楽を幅広く授業に取り入れてきたつもりだ。その授業を受けて来た児童達がそういう認識を持ち,「好み」を偽った児童がいたとすれば,それは悲しいことだし,教師としての指導力を反省すべきだと思った。
| 回想 | 18:36 | - | - |
まど みちお さん
 私は,まど みちおさんのファンである。
「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」「ポケットの中にはビスケットがひとつ」「しろやぎさんたら よまずにたべた」などなど,素晴らしい詩を数多く手がけている日本を代表する詩人である。

 大学2年生の頃だったと思う。彼の詩集を買い,その中の「さかな」という詩に曲をつけた。公の場で発表するためではなく,個人的な楽しみとして作曲したものだったが,まどさんに敬意を込めて,楽譜と録音テープを手紙に添えて送った。いわゆるファンレターのようなものであるし,まどさんはかなりのご高齢でもあるから(1909年生まれ),返事がもらえるなどとは期待していなかったのだが,間もなくまどさんからハガキを頂いた。少し震えたような文字,詩集に掲載されていたご本人の筆跡と同じで,心が躍った。

 先日,昔の作品の録音を久しぶりに聴いていたら,その中にこの曲を見つけた。あの頃のことを思い出して懐かしく思った。

 
 もう12年も前に作った曲。とてもシンプルな歌である。
 興味がある方はお聴きください(昔の曲ですので,作曲の未熟さにつきましては,どうぞご寛容に)

http://www.geocities.jp/terauchidaisuke/index.html






| 回想 | 07:17 | - | - |
メレディス・モンクの思い出
 約10年前,メレディス・モンクの音楽にハマっていた。私が「声の即興演奏」を始めたのは,彼女の影響が大きい。その頃,彼女は来日公演(東京)を行うことになり,私は心躍らせて東京旅行の計画を立てた(当時の私にとっては,「演奏会のために東京に行く」のは,初めてのことである)。

 モンク東京公演を企画していたHさんを,当時ギターを習っていたS先生から紹介して頂き,演奏会終了後に少しだけモンクさんとお会いすることができた。ステージや写真で見ると体の大きな人のような気がしていたが,実際に間近で会ってみると小柄な人だった。

 私はその時,自作品のカセットテープを「聴いて下さると嬉しいです」と言ってお渡しした。若気の至りと,演奏会終了直後の興奮の勢いでこういう行動に出たのだ(私はもともと人見知りする傾向があるが,当時は特に外国人に対してシャイだったので,この行動はかなり思い切ったことだった)。彼女は雲の上の存在だったし,忙しいスケジュールの中,本当に聴いてくれるとは思わなかったが,受け取ってもらえただけで嬉しい気分になったものだった。

 演奏会は4回行われた。終了後には毎回お会いすることができた。何を話したのかはあまり覚えていないが,挨拶とか演奏会のちょっとした感想だったように思う。
 最終日,いつものようにモンクさんが姿をあらわした。その時彼女は,私の顔を見るなり,「Beautiful piece!」と言いながら抱きついて来た。テープを聴いてくださったのだった。忙しい日本滞在中にも関わらず,私のような無名の学生が半ば強引に渡したようなテープを。
 嬉しかった。あの時抱きしめられた時の感覚は今も忘れることができない(彼女の方が私よりも遥かに小柄なのだが,確かに「抱きしめられた」という感覚だった)。
 広島に帰るとすぐ,HさんとS先生にその時の感動を手紙に書いた。もちろんモンクさんにも手紙を書いた。

 いつかまたどこかでモンクさんに会いたいと思う(私のことを今も覚えていらっしゃるかどうかはわからないが)。今お会いすることができたら,当時はできなかった話をいろいろとしてみたい。欲張りなようだが,ステージで共演する日が来れば最高だなあ,などということも夢見ている。




http://www.meredithmonk.org
メレディス・モンク公式サイト

| 回想 | 09:04 | - | - |